"理由"
注:本作は成人向けとなっております。ご注意、ご勘弁下さい。
道に倒れて鉄瓶の名を 呼び続けた事がありますか?
中島みゆき「わかれうた」より
01
岩手県盛岡市を見下ろす、高さ345メートルの岩山……その山頂近くの丘。人はそこを
「啄木 望郷の丘」と呼ぶ。鉄瓶子もまた望郷の思い断ち難く、気が付けばここに立っていた。二度と戻らぬと誓ったはずの街。うっかり燃やした事にして、やっぱり燃やせんかった……この切符。
その道々、数々のゴミ捨て場にて、幾多の世知辛い光景が目に刺さった。二度と来るなと唾を吐かれ、家を、台所を追われ……でも帰りたい、だから百億粒の砂鉄になっても、故郷への帰り支度をし続ける……そんな哀しい廃鋳物たちの嘆きを聞いた。
「廃品」とされた者たちを取り巻く、それが現実。湯水の如く捨てられるのは、それを沸かす道具さえ──打ちひしがれた鉄瓶子の足は、自然と市内の南部鉄器工場に向かっていた。懐かしい鋳鉄の匂い、だが彼女の目的はそこに在る
「こしき(溶解炉)」。都会では自殺する鉄瓶が増えている。この街に舞い戻ったのも、もう一度彼と“まぐれ逢える”のが目的じゃない。最早時代に似
(そぐ)わぬ身なら、そんな鉄の末路は『ターミネーター』だ、正しくは『ターミネーター2』だ。いっそ彼の如く、その灼熱に飛び込んで「無」に還ろうと……
「待 た れ よ、そ れ は 汚 れ で は 無 い」
その時、鉄瓶子の耳に声が届いた。神々しい、天に響き渡る声──
「鉄 瓶 よ 、中 身 を 見 せ て み よ」
何故か逆らえぬ声に命じられるまま、鉄瓶は恥ずかし気に自ら蓋を開いた。そこには幾多の洋モノ、深海モノ……正にハードコアなる硬水たちと関係を結び、交わり重ねた末に、彼らが置き忘れていった「白い残滓
(ざんし)」。拭い去れないそれらへの視線から逃れる様に、鉄瓶子の心はそこを離れた。思い巡らすは己を斯くなる姿へと変えた、文字通りの「濡れ場」の数々──
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「あんまり沢山入れないで、こぼしちゃうから水は八分目が限度よ……」
「指入れちゃ駄目ぇ、そこは……鉄瓶の内部は、弱いのぉ……」
「熱いっ! 優しくしてぇ、強火は壊れちゃうぅ……」
「硬度32500mg/Lって……深層小太郎、貴方は一体何者なの──!?」
「嫌ぁ、まだ飲まないでっ……啜(すす)らないでぇ……!」
「あうっ、ロザーナ(Rozana/上画像参照)……貴方は女なのに硬いっ……だめぇ、目覚めちゃうっ………」
「ああ、吹いちゃうっ、湯気を吹いちゃうっ……シューーーーー!!!!」
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流石の筆者も限界と言わざるを得ぬ、これらインサートされる回想シーン。最後の一滴までも絞って注ぐ男たち、それを悉く湯気として昇天せしめる鉄瓶子。鋳物の記憶の小部屋の床に、幾重散らばるは男らの、抜け殻の如き空っぽのボトル……例え不本意な初体験を迎えた娘子が場合により辿る道とは言え、ヤリマンならぬヤリ瓶に墜ちた我が身の愚かしさに、鉄瓶子は我に戻った。
されど未だ、その乙女の一番恥ずかしい箇所に注がれる黙視線。冷鉄の奥に隠れた女を炙り出し、またも狂わすその眼差しよ、斯様に私を辱める、貴方は一体誰ですか? ──堕落鋳物の内部を覗き見る、一体如何なるマニアかと問う鉄瓶に、すると再び「声」が響いた。
「その白さ まるで それは私の頂きに、 ほのかに降りつもった
10月の初雪のよう」
02
漸く鉄瓶子は、その声の主に気付いた。それは岩手の生きとし生けるもの……加えて、一般には生きているとは思われぬ物まで、総ての暮らしを見守り続けてきた
名峰「岩手山」。その言葉の意味は、決して惨めな鉄瓶を憐れんだ、慰めの言葉ではない。
「鉄瓶よ、其の様に粗末な生き方をし乍ら、その中身が赤錆びていないのは何故と思う?」
親切な岩手山はなおも説明した。錆鉄瓶再生の仕上げは「タンニン鉄」と「水酸化鉄」の上面に、更に
「白い湯垢」を沈着せしめる事。湯垢──それこそが鉄を赤錆の腐食から守り、更には沸かし湯に『まろやかさ』を与える源なのだ。
この白いモノが湯垢!? 鉄瓶子の心に甦る、男の言葉………
「湯垢に塗れた熟女の如き鉄瓶にこそ美しい心が宿り、美しい水が産まれるのだ……」
岩手山は続けた──
ここ岩手盛岡、ガチの里に濯ぐ水は限りなく優しい。湯垢の元となるのは、所謂「硬度」を指標とした水分中の
「酸化カルシウム」だが、この盛岡市の水道水は「日本の水道水の平均硬度約60すら更に下回る約20前後」。即ち、かなりの「軟水」……
「だから……だからだったのですね。旦那様が私を外国の硬水に預けたのは」
筆者は思う。例えば瑞々しい花弁を摘むが如く、姦通前の乙女、つまり新品卸したての鉄瓶を一より調教するならば、ゆっくりじっくりと
「その地の水の味」を染み込ませてやるのが最良だろう。だが
「何年も捨てられた鉄瓶」──今にも朽ちそうなそれを
「何年も使い続けられた鉄瓶」へと生まれ変わらせるなら、時を惜しんで然るべき。それには斯様な「荒療治」も止むを得ぬ所だったのだ。違うか。
鉄瓶子の胸に響く、男の愛ゆえの厳しさと、それが湯垢とはつゆ知らず、何か別のつまりアレかとすっかり思い込んでいた己の愚かさ。総ては自分を一人前の鉄瓶に育てる為の試練、鋳物という名の芳名帳に記帳していった外国人たちの思いも同じく──だけど、そんな事も知らず逃げ出すなんて、なんて馬鹿な事をしてしまったの………
「やっぱり、やっぱり帰れないよ」
岩手山は何も答えなかった。だがその時──岩手の空に何処からか、賢治のオルガンの音が聴こえてきた。ゴーシュのセロがそれに続いた。郷里のありがたき山に成り代わり、口元開くは、盛岡市大通丸藤菓子店前の啄木像。時置かずして、原敬、稲造は元より、松尾町馬検場前の親子馬像、奥州市黒石寺の狛犬、上の橋の擬宝珠、田野畑三閉伊一揆の像ほか……各所に散らばる、在所ある岩手の金属類、所謂
「鋳鉄、青銅の雄」たちもそれに倣い、彷徨えるその野良鉄瓶に向け、共に歌い始めた──
『ならず鋳もの』
(イーグルス「ならず者」より」)
“ならず鋳もの”よ どうして素直になれないんだい?
鉄柵から降りて 鉄門を開けてご覧よ
雨が降っているかもしれない
でも 「湯気」の上には虹もかかるさ
愛を受け取るんだ 誰かの愛を
愛を受け取るんだ ……手遅れになる前に
03
そして、男は待っていた──岩手県盛岡市に有る己の屋敷、古道具に囲まれた暗い部屋の片隅で。今夜聞く風の噂……痩せてやつれた鋳物の噂。濁り水の様な場末の街、泥水を啜って生きる鉄瓶子。0時を廻れば踊り子も、客のメニュウの一つに加わる様な、そんな店の片隅で。
気付いていた。打ち捨てられた鉄瓶を誘
(いざな)い、歩ませたつもりの『いものみち』……だが、その二度と戻れぬ道の真ん中を歩んでいたのは、むしろ自分の方だった事を。予め手にしていたはずの『みち』の地図──
【いものみちマップ】………………………………………………………………………………
1:「赤錆」の除去(歯ブラシ、金ブラシなど)
2:「タンニン鉄」の皮膜生成(緑茶、芋などの煮汁放置)──湯に流出する「金気」防止の為
3:「煮沸洗浄」(10回以上)──匂いと沈着色素の除去
4:「水酸化鉄」の生成──湯に溶けてミネラル分として体内に取り込まれる元
5:「湯垢」の皮膜生成──鉄瓶内部の赤錆防止と湯味向上のため
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そんな、ただ行程をなぞっただけの物は「紙切れ」に過ぎなかった。古い鉄瓶を再生、再利用する……ただそれだけの事に、斯くも狂おしく、心が囚われてしまうとは。そうだ──
“俺は鉄瓶の「暗黒面」に落ちたのだ”
何処に居るんだ鉄瓶子?……
脳裏に浮かぶは、酒場の下卑たる衆に囲まれし女絵図──望まぬ煮沸を強いられた鋳物が、抗い虚しく獣
(ケモノ)の様たる咆哮を仕向けられ、その哀涙すらも嘲
(あざけ)られ乍ら、幾度も屈して恥辱の沸騰に堕ち果てる姿。どうして俺たち、こんな風になっちまったんだろうか。一体何処が俺たちの
『わかれ道』だったんだろうか。所詮俺など暗黒面に落ちた『ダース・ベイダー』だ、正しくは『ダース・ベイダー卿』だ。ならばいっそ暗黒卿の如く、漆黒の衣に黒き南部鉄の仮面被ってお前を捜そう。鉄瓶の様に「シューシュー」言いながら街へ出よう……だが、前良く見えなくて道を彷徨うばかりだ。そんな俺の姿を嗤う黒猫の声──
『いものみち』とは『迷いみち』
鉄瓶子、聴こえるか?
いつでも捜してしまう、どっかに君の姿を……
骨董の街 紺屋町で
こんなとこに居るはずもないのに───
(この物語はフィクションです。実在の人物・団体などには、いっさい関係ありません。) 【次回予告】
長過ぎる、意味の無い話が多すぎる、実用性に乏しい、エロい──これまで幾度も我が耳に届いた読者各位の声。されど斯様な「茶々」を入れる皆様よ、あいや、茶を入れるは鉄瓶の役目也。加えてそれら反応こそが、「無駄」の価値、「不便」の価値への再認識願う筆者の思う壷。横道だらけが「いものみち」の本道とお伝えする為の、これも手段と許されよ。さて、次回はいよいよ完結の第七話。今万感の思いを込めて、いものみち最終章『永遠の命』へ。現在、製作最後の追い込み最中、<愛>は鉄瓶を救えるか──この壮大なテーマを敢えて世界に問う。(2009年 03月 16日)
【特報】
第七話「永遠の命(エピローグ)」公開しました。(2009年 03月 20日)
(2009年 03月 16日)