"永遠の命(エピローグ)"
注:本作は成人向けとなっております。ご注意、ご勘弁下さい。
まわる まわるよ 鉄瓶はまわる
中島みゆき「時代」より
01
そこかしこ、盛岡の空に響く轟音──「開発」という名の、歴史の抹殺
(ジェノサイド)。かの男の屋敷もまた、区画整理事業の犠牲となった。変わってゆく町並、人の心、失われてゆく伝統を憂い乍ら、『大草原の小さな家』最終話宜しく、生家を自ら灰燼に帰した男の姿は今、病院の床にあった。
傍らには僅かに残った古道具たちと、プリントアウトされた鉄瓶子の写真。叶うならもう一度、我の手によりその洞内
(なか)を満たしたい──そして今度こそ、そこから沸き出す湯を。やがて覚えた喉の渇きに、ナースコールを押す男。お湯を一杯欲しいんだが……先程来、カーテンの向こうで足だけが見えている女、看護婦では無いのか? その「足」は、踵
(きびす)を返して部屋を出て行く。
「何所へ行く?」
『行き先の分からない五徳……』
一瞬の沈黙の後、その足の主は続けた。
『あの時、貴方はその後にこう続けて仰った。
──暫くは、何処に自分が行くのか見当がつかないだろう。だが、ある地点を過ぎると、あんたにも行く先が分かってくる。すると、今度はあんたがそれを運転する番かもしれない。自分の思う方角にね……』
「鉄瓶子……」
『だから、今私は自分の意志で、湯沸室に行くのです。貴方にお湯を飲ませる為に』
「待て、これを……」
と、傍らの水桶を指す男。そこには「平成の名水百選」の1つ、盛岡大慈寺町の湧水
「青龍水(せいりゅうすい)」の文字。
「……お前の最初の一口に相応しい水を探していたんだ」
『それを探しに旅に出ていたのですね……私を置いて』
「硬水、さぞや硬かった事だろう」
『言わせないで下さい』
「それもこれも、一日も早く、お前の沸かす美味しい湯が飲みたかった」
『判っています』
「許せ」
「ふふふ」
「何が可笑しい?」
「初めて旦那様が頭を下げなすったわ」
いつの間にか、鉄瓶子は男の傍らに居た。凛としたその姿は、何かの「道具」でも、誰かの「おもちゃ」でもない。自らの足で、そこに立っていた。
鉄瓶子……いい鉄瓶になったね………
02
♪鉄瓶子 いい鉄瓶になったね
鉄瓶って 使われると 本当に変わるんだね
鉄瓶子 一人でお湯も沸かせない
自信の無い鋳物だった お前が嘘のよう
──中島みゆき「怜子」より
鉄瓶子の目に映った、男のベットに括られた文字──
「病名:慢性鉄分不足」。
その心過
(よぎ)るは、骨董屋にて邂逅の折の男の言葉……
『お前は俺の“目的の為の道具”』
彼女は悟った。自分の育成を急いだ本当の理由……そして、そもそも自分を郭から拾い上げ、育てようとした本当の理由を。「クスリを飲めばいいだろ、バカか」と言えばそれまでだが、盛岡人の心が許さなかったのだ。ちなみに鉄分補給に有効とされる
「ほうれん草」だが、それら野菜や穀類、卵などに含まれているのは
「非ヘム鉄」で、これは消化過程で「無機鉄」に変化した後、最終的には殆どが身体に吸収されにくい
「三価鉄」となる。しかし、鉄瓶などの鉄器から溶出するのは
「二価鉄」、それはたいへん身体に吸収されやすい鉄なのだ。
(註:なお最近は、耕作地の養分低下傾向により、野菜が含有する鉄量自体の減少も指摘されている)
「理由はそれだけでは無い……」
その軟らかい水を鋳物に注ぎ乍ら、男は言った。
「……私のおじいさんがくれた、初めての名水。それは鉄瓶で沸かした盛岡青龍水、私は4歳でした。その水は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしい水をもらえる私は、きっと
『特別な存在』なのだと感じました。今では、私が鉄瓶オーナー。お前に入れるのは、もちろん盛岡青龍水。なぜなら鉄瓶子、お前もまた
『特別な存──
男の唇がお約束の言葉で結ぶのを、鉄瓶子は止めた。
「やめましょう。私、泣きたくないから。例え嬉しい涙でも
『涙は錆びの元』なんです。今、私に出来ることはただ一つ。でもそれこそが貴方にとって今、いちばん必要な事。
私はそれだけで、嬉しい……」
湯沸室から響く「チンチン」という、懐かしい音。
鉄瓶子、作法は心得ていた。
【鉄瓶湯沸しの作法】………………………………………………………………………………
1:紹介した手法に拠る促成的湯垢付けは、本来邪道です。過剰に「滑り」がつく場合が
あるので、その際は垢が水に浮かなくなるまで濯いで流しましょう。
2:火は弱火で。沸騰に伴って、鉄瓶の鉄がごく微量溶出し、イオン状態の鉄と残留した
塩素(カルキ)が反応します。それを飛ばす為に、沸騰後は蓋を開けて三分ほど待っ
てから使いましょう。
3:鉄瓶で煎れるお茶は、まろやかで甘くなりますが、鉄分が茶のタンニンと結合してし
まうので、鉄分補給を第一に考える際は「白湯」を。
4:沸かした後は速やかに湯を空けます(ポットなどを使用すると良いです)。そして蓋
を空けたまま五徳の上で乾燥させましょう。
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03
岩手山を臨む病院の屋上。まだ冷たい三月の風が吹き下ろす中、男の掌には湯飲みに注がれた白湯があった。一点の濁りも無い、なんと清々しい白湯だろう──この一杯の為に、どこで俺たちは「みち」を間違ったのだろうか。一つ曲がり角一つ間違えて『いものみち』クネクネ、俺が地図を見誤ったばかりに……
「いえ、これが正しいみちだったのだと思います」
傍らの鉄瓶子は言った──少なくとも私たちにとっては、これが相応しい道、と。
「でも、読者にとっては笑い者ですよね。おかしいですよね、私たち」
「身も蓋もないな」
「身も蓋もございます、私は鉄瓶ですもの──」
そんな鉄瓶を男は見詰める。
「美しい。お前もきれいになった……その雪化粧の様な湯垢」
言いつけ通り、どんなに身を窶しても触れさせなかった内部──
「これからお前はもっと美しくなってゆくだろう。ベンジャミン・バトンの様に若返っていくお前と、そして住処も無く老いていく私。もう何所へなりと行くがいい」
「それは私が決める事です。だから離れません」
「……」
「今、旦那様は私をきれいと言った、だからもう離れません」
それを聞くと、男はゆっくりとその手にした白湯を飲み干した。
鉄瓶を愛した男と、そして鉄瓶の小さな胎内で起きた「水の奇跡」が、
今ひとつに──
合体。
「──それで? それからどうなったの?」少年は訊いた。
「それから戦いが始まったわ。戦いとは生きる事、そして
『世に不要とされたもの』を生かし続ける事。小さな四畳半、いえ、ささかな私たちの暮らしにとっては大四畳半。沸かした湯がカップラーメンでも、それでも良かった。鉄分補給で健康を、おまけに
アンチエイジング効果で若さを取り戻した彼が、私を友達に紹介する時、照れ臭そうに私のことを“うちの奴”と呼ぶ……それだけで幸せ。
いい? 不便で不自由だからこその価値があるのよ。多くの人はそれを知らない。だから私たち『古物解放同盟』は、掲げた
“不自由の旗”の下、道往く人たちに向けて叫んだ──」
『まろやか』の意味を知りたくば 鉄瓶を求めよ
万物を『慈しむ心』が欲しければ 鉄器を求めよ
鉄瓶が温めるのは湯ではない
五徳の上、貴方への思いを温める
鋳物は いいもの 鋳物は 生き物
金属も 家族
私たちは 家族……
「──家族?」
「──そう、私たちは家族になった。口さがない人は言ったわ。『忘れられた物に忘れられた自分を重ね、更に自分に都合の良い女性像を与え、己を憐れみ慰めているだけ』って。何度反論してもね……それは私たちでは無く、
まさしく作者の事だと。でも彼は挫けなかった。あなたが望めば本当になる、私が望めば本当にできる、鉄と人間、あなたとわたし……そう歌い乍ら、捨てられた鋳物を見つけては、その再生に取り組んだ。どんなに貧乏になっても、例えそれで、命を落とす事になっても──
皆 さ ん !
画面の向こう側で、このブログをお読み下さっている皆さん。『鉄瓶 赤錆 修理』で検索して、間違ってここに迷い込んでしまった皆さん──この私達が可哀そうだと思ったら、どうか拍手をして下さい。私達のように、
世の中の冷たい風に吹かれている『旧き者』に、拍手を送ってください。お願いです……世の中には、私みたいな鉄瓶がたくさん居ます。そういう鋳物たちのために……声援を送って下さい!」
………
「父さんは立派だったんだね。母さん」
少年は鉄瓶子に言った。鉄瓶子は頷く──愛する人が遺してくれた一人息子、その母の名を冠して
『鉄郎』と名付けられた小さな鉄瓶に。
「人は誰でも鉄瓶さがす、旅人の様なもの」
それがあの人の口癖だった。やがてはこの子も、父親の様に戦うだろう。
『人と鉄との健全な共生』を目指し、鋳物の銃を携え、鉄の線路を大きな鉄の汽車に乗って、宇宙へと飛び出してゆくのだろう。安価で大量生産された機械を無料でくれるという、アンチリサイクルなあの星を目指して……止めても無駄だね、男の子だもんね。
宙
(そら)をごらん鉄郎、あれが水瓶座、天秤座……そしてあれが私たちの
「鉄瓶座」。その横を、お前には未だ見えないだろうけど漆黒の鉄の船が往く──亡き友の息子を守る為に。乗り込むのは、彼と
「鉄の誓い」を結んだ鉄の仲間たち……鉄の女サッチャー、鉄人衣笠、鉄腕稲尾、新日鉄釜石栄光の15人、ジェレミー・アイアンズ、鉄腕ダッシュ諸々……人どころか、もはや物ですら無いものたちさえ、あなたの仲間。
再び始まるドラマ、古い錆びは置いていくがいい……
鉄郎、寒くないかい? 外は雪だよ。もっとそばにおいで……
「うん、母さん。
鉄って暖かいね」
少年鉄瓶は母の温もりに包まれ、ゆっくりと眠りに落ちた
──これが私の物語。
ライフ イズ ビューティフル
リユースライフ イズ ビューティフル
鉄瓶 イズ ビューティフル
(この物語はフィクションです。実在の人物・団体などには、いっさい関係ありません。)
明日の汽笛が君も 聴こえるだろう?
汗ばむ夢の鉄瓶を 握りしめろ!
エンディングテーマ〜ゴダイゴ「TAKING OFF!」
(2009年 03月 20日)